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MARUMASU Motorcycle Lounge.

2006 - 2020 Specializes in Harley-Davidson / Japanese Classics Maintenance & Speed Pro Shop " The Spirit of Bonneville Salt Flats" Land Speed Racing. / 2010/2011 FIM World Speed Record : 2011/2014 AMA National Champion : 310-1 Nishi-bessho, Kuwana-shi, Mie 511-0851 JAPAN.

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"世界最速のインディアン"三度(みたび)。

熱に魘されております、、

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もう何度繰り返し観た事か、、ひと昔前のアナログテープだったらとっくに擦り切れていたに違いない。

2005年に公開された『世界最速のインディアン』(The World's Fastest Indian)。※ニュージーランド・アメリカ合作のロジャー・ドナルドソン監督作品、アンソニー・ホプキンス主演作品。
1000cc以下のオートバイの地上最速記録保持者、バート・マンローの実話に基づいた映画で、63歳で初めてボンネビルに挑戦した実話を元に制作されているのは皆様もご存知のとおり。

この映画を観たのは2005年だから今から15年前、実のところ本日1月14日は当方の誕生日でして、今更何も嬉しくもない53回目を迎える訳ですが、当時38歳、40歳を見据えての決して早くは無いレースデビューだった訳です。

ボンネビルの塩平原については小学校の頃"ブルーフレーム"号が音速の記録を出した場所、という事で知っていましたが、この映画を観て衝撃を受けたと同時に、自分でも行けるんじゃないか、と調べ始めました。

今はインターネットがあるので何を調べるにも簡単ですし、唯一日本人で参戦している方が居る、というのも直ぐに分かりました。しかし、ネットの無かった時代、行き当たりバッタリで海外を放浪していた頃のスリリングな体験を知っているので、最低限の事しか調べずに向かう事が、移動の道中すら楽しむ事だと思いました。これもこの映画の通りに実践しました。

今考えれば大したバイタリティだったと自分で自分に感心しますが、迷惑を被ったのは大会主催者側だったと思います。

ボンネビルの場所こそ分かってはいましたが大会の詳細について全く分かっていない。
そのうえ英語もほとんど出来なかったからどこをどうやって走るのやら、車検やインパウンドの意味すら理解していませんでした。もう無茶苦茶としか言いようがありませんよね。

車検時、タイヤのバルブがゴム製だった事で車検に引っ掛かったのですが、その際車検を行ってくれたのがドリューさんでした。彼はシニア・インスペクターで非常に有名な方なのですが、当方のあまりの理解してなさに呆れ返り、自分達でバルブの交換が出来ないのなら、と彼の車に乗せられてピットを回り、ここなら道具を持っているから、とホンダのチームを紹介してくれました。今考えれば、このチームは有名なアルさんの"ダラス・ホンダ"だった訳でして、アジアから来た言葉も通じない日本人相手に、呆れ返っていたと思います。

当時は今のように初心者にコースのオリエンテーションなんて親切な説明は無く、車検が終わるといきなり本コースにアタックでした。"制限マイル"もありませんでしたから正真正銘、最初から"全開"のアタックです。

途中塩の影響で点火系が壊れましたが、これまたボンネビルでは有名な"ビューエルブラザーズ/シスターズ・レーシングチーム"の"サンタ"ことサンタクロース・アンダーソンさんが声を掛けてくれました。最初彼は東洋から来た訳の分からない当方に明から様に怪訝な態度で、まぁ有色人種を嫌う白人が多いのもこれまで色々旅した中で経験しているので、気にしないようにしてました。
そんな彼が、彼から声をかけてくれ、翌日彼のチームのピットに出向くと必要な部品を持っていけ、と言ってくれました。お金を払う、というと要らない、と言います。「何故か分かるか?」と聞かれましたが当方にはさっぱり分かりません。
「オマエはハーレーでこのボンネビルにやって来た。だから俺達はオマエを助ける義務がある。」
彼にそう言われた時は本当に頭の下がる思いでしたし、米国内における"ハーレーダビッドソン"というオートバイのアイデンティティを思い知らされました。

何とかコースに慣れ、往路で記録を更新し復路も走る事が出来ました。結果的にはボンネビル初参戦でワールドレコードを奪取する事となりましたが、多くのラッキーが重なった事と、当方に関わって頂いた回りの方々のお陰で、勝ち取れたタイトルだったと言い切れます。

インスペクターのドリューやサンタはとても喜んでくれました。サンタに関して言えば彼から貰ったパーツのお陰で勝てた訳ですから、本当に喜んでくれていたようです。「勝ち逃げは許さない、また来年も来いよ」と彼に言われ、その言葉を守り続けているからこそ、今の当方のボンネビルでの"立ち位置"というものがあります。

当方が電気バイクにシフトしても、怪我でレーサーとしてではなくチーム監督として参加しても、皆は嫌な顔ひとつせず受け入れてくれています。

たかがレース、されどレース。

自分の人生の中の10年間を、このボンネビルに捧げて来た、と言い切れます。
このブログは長きに渡り続けているので似たような下りを書いたこともあるかもしれませんが、何度でも言います。

自分の中でのボンネビルは、今の当方の生き甲斐であり、生きる術を学ぶ場所。
多くのベテラン・レーサー達の"生き様"を見ることは、今を生きる上で忘れてはいけない何か、を思い出させてくれます。

ボンネビルを訪れた事のある方も、そうでない方も、是非今一度、この「世界最速のインディアン」をご覧頂きたいと思います。この映画そのままの光景が、毎年8月、ボンネビルの塩平原で行われてます。


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